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絶対ってなに

Daily Update

How about your state of health? Body: Not bad. Mind: Not bad. How was your day today? Ordered MINDSET via Amazon. Logged in to LeetCode for the first time in a year. Confirmed frequency’s pronounciation. It’s not frékwənsi but fríːkwənsi.

2021-09-07-2

タイトルが思いつかなかったので日付のまま。 最近、自分はこのままでいいのか、いやよくないだろうとか、そういうことを漠然と考えて不安になったりしている。 こういう感情はたまにやってきて、何かしなければならないと思い、奮起して何かやったりする。 例えば日常を変えるために体力をつけよう、ということでランニングを始めたりとか、プログラミングの力をつけよう、と思って AtCoder を始めたりとか。 でもいつの間にかやめてしまい、これまでの日常に戻っている。 現状に何かしら不満足で、何か変えようと思って、何か始めるけれども、そのうちやめてしまう。そういうことを何度も繰り返しながら30歳まできた。 昔はそういう自分を責めていたが、今となってはあまり罪悪感なく生活している。 ただ今は、以前とは多少変わったことがあって、 現状に何かしら不満足で、何か変えようと思って、何か始めるけれども、そのうちやめてしまう。 昔はこういうことを言語化できなかった。言語化する自分が嫌だった。 自分が怠惰な面を持っていることを認められず、いやできるはずだ、何故できないのだ、という根性論で自分をなんとかしようとしていた気がする。 そもそも言語化が苦手だ。 現象であったり、人の気持ちであったり、そういったものごとは、それそのものとして世の中に存在していて、言葉はそれをパッケージングする。 そのパッケージングに対して後ろめたさを感じる。それそのものの良さが一部削ぎ落とされてしまう気がする。それなら言葉にしなくて良い、と感じてしまう。 コミュニケーションというものは必要に応じて発生するものだと思う。 いくところまでいくと、誰にも伝えず、誰にも伝えられず、一人引きこもっていればいい、ということになる。 でも今はそういう考えではない。 自分の考えていることをなんとかして人に伝えて、互いにコミュニケーションすることで、自分の考えが変化したりして楽しい。

負の感情について

昔から、怒りや悲しみなど、負の感情に引っ張られて行動することが多い。 何かに対してなんらかの不満を持ち、それを変えるために行動する。 不満を向ける対象は、主に何らかの仕組みであったり、自分自身であったりすることが多い。 その考え方に対して、かつては後ろめたさを感じていた。 どちらかと言うと、世の中がこうなったらもっと良い、とか、自分をこうすればもっと良くなる、とか、能動的な、プラスの感情で行動するほうが良いと思うし、そういう考え方をする人が魅力的だと思う。 しかし今は、自分が負の感情をベースに行動していることに対してあまりネガティブに捉えていない。 30歳という節目を迎え、ここまで生きてきて変えられなかったものを変えることよりも、その使い方を変えるほうが楽、という考えに徐々にシフトしてきている。 自分は性格としてそういうものなんだと認めて、どうにかしてそれを利用することができないか、と思う。 そんなことを考えながら、なんとなく「負の感情を利用する」でググったら、こんな論考が出てきた。 負の感情は、ほんとうに「負」か? 要約することが難しい内容になっているが、負の感情は、一面的に捉えると負に見えるけれども、多面的に捉えることで負とは言い切れない場合がある、といったことが書かれている。 例えば下記のような例が挙げられている。 友人の大きな成功に嫉妬した。がそれが動因になって自分も努力し、それなりに成功できた。 このように、負の感情が結果として自分の人生に対してプラスに働いているケースもある。 この論考を読むまでは、負の感情を単に悪いものとして捉え、悪いものは悪いものとしてコントロールできないか、と考えていたが、 確かに、よく考えてみると、負の感情はそれそのものが悪いものだと言い切るのも難しいかもしれないと思った。 ちなみに、この論考には「負の感情はコントロールすべきか?」という章もあり、負の感情について生物学の観点から論ぜられていて面白い。

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